60歳で会社を定年退職すると、突然、朝から夜まで予定がなくなり
ます。自由な時間が有り余るほどできる“余生”を人は手にします。
そこではじめて“自己の存在の意味”について考える人も多いようです。
そんな余生を送る人に向かって
『あなたは何のために生きているのですか?』と 問うてみて
『私は社会に役立つために生きています』とは、
なかなか言えなくもなってきます。
現実はだんだんと役立たなくなるのですから・・。
社会に役立たなくなっていながら、
なおかつ生きているのはなぜか。
それこそが『何のために生まれてきたのか』『なぜ生きるのか』
『なぜ自殺してはいけないか』の真の回答に迫るものといえましょう。
これは老後を迎えた人ばかりの問題でもありません。
下の言葉は以前仏法の話をした女子大生のメールの抜粋です。
「このさきもいくら頑張っても人間関係に悩まされたり、色々な障害にあ
うのであれば、人生なんてテキトーにやってテキトーに終わらせればいい
や。どうせ、満足する幸せなんてないんだから、親が悲しまないようにさ
えすればいいやと(- -)/~~」
自殺しないのは、親が悲しむから、とするならば、
親がいなくなれば生きる根拠を失います。
子供に迷惑をかけるから、というのなら、
子供を失ったときに生きる力を失います。
たとえ自分が死んで困る人がいなくても、
悲しむ人がいなくても、
生きねばならないのはなぜか?
親鸞聖人の教えられる『人生の目的』はそこにあります。
高校を中退したある十六歳の少女はメル友と二人でホームページを開きま
した。そこには自作のこんな詩が掲載されています。
「居場所
高校辞める前は学校休んだことがなかった。それはなぜか?
行かなきゃ自分の居場所がなくなると思ったから
(中略)
人を信じれば信じるほど裏切られたときのショックは大きくて、それを
繰り返し受けてきた。
あたしはもう誰も信じられない。信じたらまた裏切られるから。
裏切られるのはもうヤダ。だから誰も信じない。信じられない。
安心していられる居場所が欲しい。安らげる居場所が欲しい。
誰かあたしの居場所知ってますか?」
渋井哲也『アノニマス──ネットを匿名で漂う人々』)
▼仲のいい友達同士は気心知れた、心地よい居場所です。
ところがそのきずなは、ちょっとした誤解やわがままで壊れるかもしれぬ
もろさがあります。
▼恋人同士は、ほかのだれよりも心を許せ、落ち着ける居場所でしょう。
ですが文字どおり、愛が永遠であった例は、寡聞にして聞いたことがあり
ません。
▼終身雇用、年功序列が崩れ、会社に尽くせば報われると信じられた時
代は過ぎ去りました。
かつて運命共同体として、サービス残業、休日出勤は当たり前、
ここがおれの死に場所と人生懸けた職場をリストラで追われ、
もはや居場所がない中高年があふれています。
▼汗とあぶらで建てたわが家も、やっとローンの返済が終わったころに
は、あちこち傾きかけています。
▼永年連れ添った妻から、ある日突然、三下り半を突きつけられる、
寝耳に水の熟年離婚も相変わらずです。
▼やがて面倒見てくれると頼りにしていた当てが外れ、出ていったきり
の子供たちからは、何の音沙汰もありません。
■人生懸けた「職場」、一家和楽を夢みた「家庭」が幻のように消え、
実はどこにも居場所はなかったのだと落胆している人が周囲にはあふれて
います。
人から必要とされれば、その時は一時、「生きている意味があった」と
安心できます。
しかし、どんなに今、輝いていても、その輝きはしばらくの間と、だれ
もが薄々気づいています。やがてその輝きもなくなる時が必ず来るか
ら不安なのでしょう。
【人間に真の居場所はあるのか】
親鸞聖人は「ある」と力強く断言されています。
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