『有無同然』という仏語があります。
無い人は無いことで、苦しむ。
有る人は有ることで、その維持や管理のために苦しむ、と
お釈迦様が仰言ったお言葉です。
私は現在35才。同期の友人で
いまだ独身という人はけっこう多いのですが、
「学生時代の友達とランチをすると、
子連れで、あやしながら笑顔で
子供と話している友達の姿を見ると、
うらやましくなるんだよね。」
と言ってきます。
早く結婚したい、と
家庭生活にあこがれるんです。
それが結婚すると、
「あ~あ、独身の時はよかったなあ、こんな気を使わずにすんで・・」
今は家事に子育ての毎日で、自分の時間なんてない、
と独身時代に戻りたいと思う。
イラストレーターの益田ミリが描いた漫画
『ほしいものはなんですか?』の書評を、
小泉今日子さんが
読売新聞に書いていたのですが、
『有無同然』の仏説を知らされる内容でした。
以下は小泉今日子さんの書評です。
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「可愛らしいキャラクターと
肩の力の抜けた優しい画風に油断していたら
何度も痛いところを突かれてしまった。
小学生のリナちゃんは
いつも心の中でなにかを考えている。
ときどき胸に湧いた疑問を大人達に投げ掛ける。
“ママ、40歳は嫌なの?”
専業主婦のミナ子さんは
“夫と子供とそれなりに幸せに暮らしているけれど、
このまましぼんでいくのかしら?”と、
40歳の誕生日を素直に喜ぶことが出来ないでいる。
ほしいものは【存在感】。
“タエちゃんは、なりたいものになれなかったの?”。
子供の頃の夢が一つも叶っていない35歳独身OLのタエ子さんは、
地道に働いてローンでマンションを買ったものの、
“お嫁さんになる夢は叶ってもいいんだけど……”
と呟いている。
ほしいものは【保障】。
どちらの気持ちも痛いほどわかる。
子育てをしている友達と会っている時、
お互いに少し気を使って
会話を選ぶ瞬間がある。
ないものねだりと分かっていながら、
それぞれの環境を羨ましい、と思ってしまうこの感覚、
男の人には一生分からないんだろうな、と思う。
アラサーとかアラフォーとか
元気な言葉の響きで
自分たちを盛り上げているけれど、
それなりの悩みがあるのだ。
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「隣の芝は青く見える」
ないものねだりの実体は
どこどこまでも続くようです。
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いびきのうるさい夫と一緒ではとても寝れないと、
夫は2階に追いやったものの、
朝になり、夫が階段から降りてくる音を聞くと
ムカムカしてくるのです。
という先輩がいました。
夫と同じ部屋の空気も吸いたくない、と
言われます。
こんな方は珍しくありません。
どうしちゃったんでしょうか。
好きあって一緒になったはずなのに。。
またある人は
「結婚して、同じ空間にいるのも、
苦痛になったら嫌よね~、って
話したら、考えすぎという意見。
でも身近にあるし・・・そういうこと。
だから、慎重になりすぎて、
理想ばかりが高くなるのです。」
煩わしい思いをするくらいだったら、
結婚なんかしなくていいや、と
腹をくくるか。
それもまた、苦悩はやってきそうです。
35を過ぎた独身女性の
自虐的なツイッターをいくつか紹介。
▼職場じゃ、「さん」づけされる年齢となる。
▼時々かかって来るお母さんからの電話は
「彼氏はいないの?」から
最近は「ちゃんと貯金してる?」
に変わってくる。
▼「このまま結婚もせず
子供も持たず
おばあさんになるの?」
スーパーで夕食の買い物をしながら、
ふと考える。
▼「おひとり様の老後」という言葉に妙に反応してしまう
▼部屋で一人、テレビに話しかけるようになる
独身女性は、
結婚すれば重荷を下ろせる、と
焦っています。
既婚女性は、
離婚すれば重荷を下ろせるかも、と
思いつめています。
実は右肩の荷物を左肩に移し変えているだけなのです。
右肩の重荷が痛くなって、
えいっと左肩に移し変えた当初は、
少し楽になったような感じがしますが、
やがて今度は左肩が重くなっていくようなものです。
『有無同然』
有っても無くても苦しみは変わらない
とお釈迦様は喝破されました。
私たちは人生かけてこの真実を
自分の身の上をもって証明し、
「気付くのが遅かった。」と嘆いて
この世を去るのでしょう。
本当の幸福って何?
探求したくなります。
たった一度の「私の人生」