世界に宗教多しといえども、
どの宗教でも、もう教えていない親鸞聖人の教えが
一つあるのですが、それは何か、ご存知でしょうか。
キリスト教にもイスラム教にもヒンズー教にも
創価学会にも日本神道にもない、
老荘思想にもどのスピリチュアルにもない
親鸞聖人だけが教えられている教えです。
「なぜあなたは親鸞聖人を学ぶのか」と聞かれたら
「こういうこと教えられた方は親鸞聖人しかないからです」
と私は答えるのですが、世界中に親鸞聖人しか教えられていない、
「こういうこと」とは何でしょうか。
それは『平生業成(へいぜいごうじょう)』の教えです。
どんなにたくさんの宗教があっても
『平生業成』を教えられたのは親鸞聖人だけです。
日本にはたくさんの仏教の宗派がありますが、
どれ一つとして『平生業成』は教えていません。
まさに『平生業成』が親鸞聖人の一枚看板と言われる所以です。
他の店に同じような看板あれば、一枚看板とは言いません。
世界中探しても同じ看板はない、他に絶対掲げている店はない、
というのが一枚看板です。
『平生業成(へいぜいごうじょう)』とは何か、
その本当の内容を知られたら
どこの誰でも驚くに違いないでしょう。
「そんな考えもあるよね」で済ますことのできる人は皆無です。
世の中にないことだから、誰も教えないことだからです。
では親鸞聖人の一枚看板である『平生業成』とはどんなことなので
しょうか。
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『平生業成(へいぜいごうじょう)』についてお話しします。
『平生』とは死んだ後ではない、生きている現在ということです。
とかく仏教というと、
「死んでから用事があるもの」
「死んだ際の後始末に必要なもの」
と思っている人が多いですが、
親鸞聖人は「平生」生きているただ今、
のことを教えられた方なのです。
『平生業成』の『業』とは事業の業の字を書いて
仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は「人生の大事業」のことを
ここで『業』といわれているのです。
大事業と聞けば、秀吉が天下を取ったことや
家康が江戸幕府を開いたことなどイメージする人もありますが
そういったことは人生の大事業ではありません。
天下を取り、太閤にまで上りつめ、大阪城や聚楽第を築き、
栄耀栄華を極めた秀吉でしたが、
臨終には『難波のことも夢のまた夢』と
寂しくこの世を去っています。
家康は江戸幕府を開き、徳川300年の基礎を築きましたが
臨終の自分の一生を振り返って
『重荷背負うて遠き道を行くがごとし」
と述懐しました。
どれだけのことをしても、「夢」とはかなく消えてしまうものは、
「人生の大事業」とは言われません。
苦しみという重荷を背負い続けて下ろすこともできない人生では
何をしたところで、「人生の大事業」ではありません。
親鸞聖人が説かれている「人生の大事業」は
『絶対の幸福』になることです。
『絶対の幸福』。
耳慣れない言葉だと思います。
親鸞聖人が『摂取不捨の利益』『無碍の一道』と
言われている幸福です。
『絶対の幸福』とは、絶対変わらない幸福、崩れない幸福です。
「そんなの、あるんですか」と思われるでしょうが、
「あれはなんだったのだろう」と幻のように消えてしまう幸福を
人生の大事業とは言いません。
「人間に生まれてよかった。この身になるための人生だったのか」
という絶対の幸福になることこそ人生の大事業です。
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すべての人は幸福を求めています。
人間の一切の営みは幸福を目的としています。
政治も経済も医学も科学も、
人々を幸せにするために存在しています。
苦しみを与える政治なら要らないのです。
楽しみを奪うのが科学なら、科学の進歩は要りません。
少しでも幸せになりたい、と人は努力を重ね続けてきたのだし、
今もそうしているのです。
ところが科学が長足の進歩を遂げても
医学が長寿社会を実現しても
なかなか肝心の「幸福」になれずにみな悩んでいます。
せっかく人間に生まれてしかも祝福されて生まれてきたのに、
生まれてきてよかった、とは思えず、
この先生きていたって幸せになんかなれっこない、
もう死んだ方がまし、と自ら命を絶ってしまう人が
豊かで平和な日本にもどれだけいることでしょう。
【人は幸せを求めて生きているのになぜ幸せになれないのか】
これほど人類にとって切実な問いはないでしょう。
最も解明を急がねばならない命題でしょう。
かかる人類の謎に、仏教は明快に答えを示します。
幸せになりたくてもなれないのはなぜか、それは
「幸福に二つあることを知らないからだ」
と断言されています。
仏教では『幸福といっても二つある』と説かれているのです。
『相対の幸福』と『絶対の幸福』の二つです。
『相対の幸福』のは、ふだん私たちが
「これがあれば幸せだ」と思っているもの全てです。
・お金や財産が手に入ること
・有名になり、尊敬されること
・素敵な恋人ができる
・きれいになる
・健康になる etc
これらを相対の幸福といいます。
これらいずれも私たちを喜ばせ、楽しくさせるものでありますし、
日々私たちが求めているものはこれらのものでしょう。
人と争ってまで、体をすり減らしてまで
これらを手に入れようと躍起になっています。
ところが、ここで考えてみましょう。
もしあなたがこれらすべてに恵まれたとしたら、
(そんなことありえないし~)と言わずに
今だけでもイメージしてください。
これら全部手にするような出来事がおきたとしたら
心から安心できますか。
人間に生まれてきたことを心から満足できますか
胸に手を当てて考えてみてください。
そうなれば幸せだろう、と思われる方もありましょうが、
親鸞聖人は、たとえそうなっても
心からの安心や満足はありませんよ、と説かれています。
なぜならこれら相対の幸福は、壊れやすいものばかりだからです。
今日あって明日は無くなるような幸福だからです。
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私が子供のときに
「キャンディキャンディ」という少女マンガがあり、
うちの妹が全巻そろえて読んでいたので、私も読みました。
テリィという、キャンディにとって最愛の人がいて、
二人は心では惹かれあっているのですが、
そのテリィがどうしても違う女性と結婚しなくてはならなくなり、
キャンディに最後の別れを告げる場面があります。
「さよなら」と泣きながら、玄関を出て行こうとするキャンディを
テリィが後ろから抱きしめ、二人が心の中で同じことを願うのです。
「このまま時間が止まって欲しい」
私たちは幸せになると、これが明日も明後日も続いてほしい、
ずっと色あせないでほしい、と願います。
今日が幸せなら明日からはどうなってもいい、
という人はありません。
「今さえ幸せならあとはどうなってもいい」
というドラマのセリフはありますが、
現実は、明日に不幸が待っているのを知れば、
今日の幸福に暗い影をおとします。
今さえ幸せなら、といいますが、あとの人生が暗かったら、
今の幸せさえも、幸せにならないのです。
時の経つのが悲しくなるものです。
幸せに悲しみが混じるのです。
お金、財産、地位、名誉、妻子、才能、健康・・
これら私たちの知っている幸福、相対の幸福は
『続かない』という欠点があります。
いつか手放さなければならない幸福なのです。
自分にとって大切なもの、たよりにしているもの、
力になっているものほど
それを失う辛さは尋常ではありません。
耐え難いものです。
しかもそれは早ければ今晩にもあることなのです。
そんなはかない幸せばかり持っていますから、
心から安心できないのです、満足できないのです。
薄氷を踏むような不安の中に生きることになってしまうのです。
人間が心の底で求めているのは
ガチッと摂め取られて絶対に捨てられない幸せ
たとえ何が起きても変わらない安心、満足、
『絶対の幸福』です。
その絶対の幸福に成ることこそ
人生の大事業なのです。
親鸞聖人が『業』といわれたのは、この絶対の幸福のことです。
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平生業成の「成」とは
完成の「成」、達成の「成」です。
業(絶対の幸福)に成れた、という決勝点があるということです。
ですから親鸞聖人が『平生業成』と言われているのは、
この世には絶対に崩れることのない、絶対の幸福があるんだ、
しかもそれは現在只今達成できる、
だから早く達成しなさい、ということなのです。
これを『現生不退』とも説かれています。
『現生』とは『平生』と同じ意味で
現在只今、ということです。
『不退』とは『不退転』の略で
退転しない幸福、崩れない、壊れない幸福、ということですから
『絶対の幸福』のことです。
現在生きている時に絶対の幸福に成れることを
『現生不退』とも言われているのです。
これをお釈迦様は『往生』とも仰言っています。
世間で『往生』と聞くと
「エンジンが故障して往生した」
というように、困ったこと
あるいは「今朝、隣のばあちゃん、往生したそうだ」
というように、死ぬこと、
困ることや死ぬことを『往生』と言っておりますが、
これは大きな誤解です。
絶対の幸福になることを『往生』というのです。
しかもそれは「一念でなれるんだ」とお釈迦様は説かれました。
これを『一念往生』といいます。
往生させられるのは一念なのです。
一念とは何百分の一秒より短い時間ですが、その一念で絶対の幸福
になれるのです。
では私たちはそんな身に一念でどうしてなれるのでしょうか
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「どうして平生業成の身になれるのですか。」
「なぜ生きている時に絶対の幸福になれるのですか。」
と親鸞聖人にお聞きすると
「それは阿弥陀仏がそのように約束されているからですよ」
とお答えになられます。
阿弥陀仏という仏の約束、これを『阿弥陀仏の本願』と言います。
阿弥陀仏は、
「一念で絶対の幸福にしてみせる」
と約束されています。
そういう約束をされているのが
世に有名な『阿弥陀仏の本願』なのです。
「ではどうしたら私はそのお約束通り、
絶対の幸福になれるのでしょうか。」と親鸞聖人にお聞きすると、
「阿弥陀仏の本願を聞信する一つで絶対の幸福になれるんですよ」
と説かれています。
『聞信』とは『聞』とは聞くこと、
『信』とは疑いなく聞く、ことです。
この阿弥陀仏の本願を聞く一つで、聞くだけで、
絶対の幸福になれます。
阿弥陀仏の本願を聞く一つで、
絶対の幸福に一念でなれる、と明らかにされた
親鸞聖人の教えを『平生業成』というのです。
簡単な概要だけをお話ししましたが、
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まずはどんなものか、覗いてみてください。
